納骨の時に見つけた手紙
妻を家に置き続けた10年、納骨しなかった理由
日々の何気ない夫婦の会話がいかに尊いものか、私は身をもって知っている。
妻は、子供たちがまだ幼いころに病死した。

幼い子供たちを残して妻が逝ってしまったあと、私はお墓への納骨を先延ばしにしていた。
普通なら、四十九日や一周忌の節目で納骨する家が多いだろう。
地域によって時期の違いはあるものの、いつまでも自宅に遺骨を置き続ける選択は、周囲からは少し不思議に思われたかもしれない。
それでも、私はあえて骨壺を家に置いた。
理由はただひとつ。
どんどん大きくなっていく子供たちの成長を、妻にも見せたかったからだ。
妻もきっと、子供たちと一緒に過ごしたいはずだと思った。
お墓に入れてしまえば、家の中で交わされる日々の会話も、夕飯の匂いも、子供が寝る前の足音も、もう彼女には届かなくなってしまう気がしたのだ。
仏壇のそばに置いた骨壺に向かって、子供たちは次のように言って学校から帰ってきた。
カッカ、ただいま
「カッカ」というのは、子供たちが妻を呼ぶときの、我が家だけの呼び名だ。
中学に上がった日も、高校の制服を初めて着た日も、子供たちは真っ先にカッカの元へ報告に行った。
私はそれを、いつも横で見守っていた。
妻がいない家ではあったが、決して妻がいない家ではなかった。
そうやって、10年という月日が過ぎていった。
下の長男が成人した日、ようやく納骨を決めた
納骨を決意したのは、下の長男が成人を迎えたときだった。
上の子も下の子も、それぞれの場所で立派に大人になった。

区切りをつけるなら、ここしかない。
妻も、もう家から見届けるのではなく、ちゃんと自分の場所に戻って休んでもいい頃だ。
そう自分自身に言い聞かせた。
10年越しの納骨
その日は私たち家族3人と、義母(妻の母親)の4人で納骨を行った。
娘を10年越しにお墓へと納める日に、義母は私たちと肩を並べてくれた。
義母の歩幅に合わせ、墓地へ続く坂道をゆっくりと登る。
その道中、誰も多くを語ることはなかった。
墓石の前に骨壺を置いた瞬間、自宅からもう一度妻がいなくなってしまうような、えも言われぬ寂しさが込み上げてきた。
10年間も家に置いていたものを手放す感覚は、葬儀の日に味わった喪失感とはまた違う種類のものだった。
葬儀のときは、頭が真っ白で何も考えられなかった。
10年経った今のほうが、ゆっくりと寂しさを噛み締める余裕がある。
下の子も、ついに成人したんだな
そう思うと、さまざまな感情が一度に押し寄せてきた。
- 一人で必死だった日々
- 子供たちが抱えていた寂しさ
- 私が見届けてきたこの10年
- 妻に見せたかった今の子供たちの姿
胸が詰まり、自然と息が浅くなった。
気づけば、子供たちはもう私より背が高い。
妻が生きていた頃は、まだ二人とも私の腰くらいの背丈しかなかった。
妻はこの10年間の身長差を、家の柱に刻まれた傷でしか知らない。
私が妻の代わりに見てきたんだ
と思う半面、やはり、
妻にも直接見せてやりたかった
という思いが拭えなかった。
お墓をきれいに掃除し、いよいよ遺骨を納めようとした、その時だった。
お骨の中に、一通の手紙が入っていることに気が付いた。
「カッカが死んでから、ちょうど10年がたちました」——息子からの手紙
骨壺のふたを開けると、白いお骨の上に、小さく折りたたまれた紙が乗っていた。
それは、息子が亡き妻に宛てて書いた手紙だった。

いつ入れたのか、私にはまったく心当たりがなかった。
おそらく下の長男が、納骨の前にこっそり忍ばせたのだろう。
誰にも言わずに。
私にも、兄にも、おばあちゃんにすら内緒で。
その手紙は、こんな言葉から始まっていた。
カッカが死んでから、ちょうど10年がたちました。
今思うと誕生日を迎えられてよかったね。すごく運が良かったんじゃないだろうか。
10年たった今でもカッカが死んでしまった時の記憶はずっと残っています。
僕の中学生活、高校生活、ちゃんと見ててくれたかな?
生まれ変わったらグローブになると言ってたけど、最後の試合でエラーをしたのはカッカのしわざかな?
どうだ、字もきれいに書けるようになっただろ?
今僕は受験シーズンで勉強に追われています。
でも勉強には嫌なことばかりじゃなくて
新たな発見を教えてくれる
高い金を払って学校に行っている分
絶対に受からなければ。
そんな気持ちです。
「生まれ変わったらグローブになる」と妻が言っていたことなど、私はすっかり忘れていた。
野球に打ち込んでいた息子に向かって、妻が冗談半分で言った言葉だ。
死んだら、お母さんはあなたのグローブになってボールを受け止めてあげるね
あの頃の息子は照れくさそうに笑って、こう聞き返していた。
本当かよ?
息子は、そのやり取りをずっと覚えていたのだ。
10年経って、最後の試合でエラーをしたときに、ふとその言葉を思い出していた。
グローブの中で、母さんは一体何をしていたんだ、と。
どうだ、字もきれいに書けるようになっただろ?
という一行に触れた瞬間、私は手紙を持つ手が止まってしまった。
妻が亡くなった頃、息子はまだ字がうまく書けず、連絡帳の文字を妻に見せてはよく直してもらっていた。
あの幼かった息子が、今や母に向かって「どうだ」と胸を張れる年齢になったのだ。
手紙に綴られたその字は、本当にきれいだった。
手紙の後半に書かれていた、彼女がいないことと髪の毛のこと
手紙はそこでは終わらなかった。
続きには、ありふれた日常の報告が綴られていた。

残念なことに昔の記憶というのはだんだん消えていく
人間の記憶ほど、あてにならないものはないって
この前■■が言っていたよ
名言だろう?
学校生活も
彼女がいないこと以外は上手くいってるし
一緒に笑い会える友達も無事にできたよ
髪の毛伸ばし中
どうせ■■ちゃんはカッカの誕生日が今日だということも忘れているんだろうなぁ
かくいう僕も今日の朝は忘れていたんだけど・・・
でも昨日の夜はおぼえてた!
お誕生日おめでとう!!
Happy Birthday!!
英語も書けるよ♪
「人間の記憶ほど、あてにならないものはない」——兄が口にした言葉を引き合いに出し、これを息子は母を亡くした自身の切実な実感として書いている。
10年という歳月が流れ、息子の中で母の輪郭が少しずつ薄れているのは確かだ。
それを息子は、ごまかすことなく正直に書いた。
ずっと覚えていますよ
と、綺麗事を取り繕うような手紙ではなかった。
「彼女がいないこと以外は上手くいってる」という一文には、思わず少し笑ってしまった。
母親の骨壺に入れる手紙に、わざわざそんなことを書くか?
と思ったからだ。
でも、息子はどうしてもそれを書きたかったのだ。
母さんなら、きっと笑ってくれる
と思ったのだろう。
彼女がいないことを、あっけらかんと母に報告できる青年に成長していた。
「髪の毛伸ばし中」という報告も、短い言葉だけでポツンと一行書かれていた。
妻が生きていたら、こう笑い飛ばしたはずだ。
何それ、似合うの?
息子もたぶん、母のそんな嬉しそうな返事を想像しながらペンを走らせたに違いない。
そして、この手紙が母の誕生日に書かれたものだということが、終盤になってようやく分かった。
家族の誰が誕生日を覚えていて、誰が忘れていたか——息子は兄の名前を伏せ字にして茶化しつつ、自分も朝は忘れていたと素直に白状し、「でも昨日の夜はおぼえてた!」と書いた。
妻は亡くなってからもずっと、この家の中で自分の誕生日を持ち続けていたのだ。
Happy Birthday!! 英語も書けるよ♪
という明るい結びを読んだとき、私は静かに手紙を畳んだ。
喉の奥がギュッと詰まった。
私はお墓の前に立ったまま、しばらく動くことができなかった。
やさしい男になってる。安心していい。

手紙を畳んだあと、私は妻に向けて、心の中でそっと語りかけた。
やさしい男になってる。安心していい。
まとめ|納骨で見つけた手紙が、家族に残したもの
10年間、骨壺をずっと家に置き続けた。
子供たちが成長していく姿を、妻にも見せてやりたかったというのが一番の理由だった。

下の長男が成人した日、ついに納骨をした。
家の中から妻がもう一度いなくなってしまうようなえぐられる寂しさが、あの日、たしかにあった。
骨壺の中に隠されていた手紙は、決して私が書かせたものではなかった。
息子が誰にも言わず、自らの意思で母に向けて書いたものだった。
納骨の日に見つけたあの手紙が、私たち家族に何を残してくれたのか、まだうまく言葉にはできない。
ただ、私のこの10年間の選択は決して間違っていなかったのだと、あの日、初めて心から思えた。
姿が見えなくなっても、絆は形を変えて育ち続ける。もし今、あなたの隣に大切な人がいるのなら、その何気ない日常のつながりをどうか大切にしてほしい。
自宅安置や納骨の作法は地域や霊園によって異なる

自宅安置や納骨時の作法については、地域の慣習や霊園規約により異なります。





