男性器を切り取ってまで愛されたかった女

男性器を切り取ってまで愛されたかった女

阿部定事件はなぜ起きたのか|90年経っても語り継がれる、愛と独占欲の境界線

昭和11年、愛する男の男性器を、包丁で切り取って胸元にしまい込んで逃げた女がいた。

阿部定事件。

聞いたことはあるでしょうか。

若い人は知らないかもしれません。

今から90年も前の話です。

男性にとっては、想像するだけで身がすくむ話です。

字面だけでも、ぞわっとする人は多いと思います。

「猟奇殺人じゃないか」「理解できない」

そう思うでしょう。私もそう思います。

でも、結婚相談所の現場にいる私・岡田は、たまに思うことがあります。

これは本当に、自分たちとまったく無関係な話なのだろうか、と。

もちろん、事件そのものは極端です。決して正当化できるものではありません。

それでも、阿部定が殺してまで欲しかったのは、男だったのか。

それとも、「絶対に裏切られない証拠」だったのか。

私がこの事件を見るとき、いつも引っかかるのはここです。

少し趣向を変えて、男女の愛について考えてみます。

阿部定事件とは|昭和11年、愛する男の男性器を切り取って持ち逃げした女の話

昭和11年(1936年)5月18日、東京・中野の待合「まさき」で、一人の女が愛人の男を絞め殺した。

女の名は阿部定。30代前半。

殺された男は石田吉蔵。料亭の主人で、当時42歳。

ここまでなら、ただの痴情のもつれの殺人です。

しかし、この事件が90年経った今も語り継がれているのは、その後に阿部定がとった行動のせいです。

定は、石田の遺体から男性器を包丁で切り取って、それを胸元にしまい込んで逃走した。

衝撃でしょう!!

新聞は連日大騒ぎ。

映画や小説のモデルになり続けて、今に至ります。

この事件は、今も名前を聞けば多くの人が反応するほど、強烈な爪あとを残しました。

なぜ世間はここまで騒いだのでしょうか。

なぜ人はこの事件を、90年経っても忘れられないのでしょうか?

私は、人間の中にある「愛」と「所有」の境目のようなものを、この事件があまりにも生々しく見せてしまったからだと思っています。

「なぜ彼女は、殺すだけでは足りず、男のあの部分まで持ち去ったのか」「それは愛なのか、それとも別の何かなのか」

この問いが、結婚相談所をやっていると、ふいに頭をよぎる瞬間があります。

ただ、この女は最初から猟奇的だったわけではありません。

一人の少女だった頃から話を始めなければなりません。

阿部定の生い立ち|「どうせお嫁に行けない」と壊れていった少女

阿部定は、畳屋を営む家の末娘として生まれた。

可愛い顔立ちで、踊りや三味線などの日本舞踊に明け暮れる少女でした。

10歳になる頃には、少し大人びた雰囲気を持っていたといいます。

ところが、15、6歳の頃、定の人生を歪める出来事が起きます。

男友達に、無理やり犯された。

これは、彼女の人生を大きく歪めた重大な被害でした。

昔の話なので、今とは状況が違います。

当時は、女性は嫁に行くまで処女でなければならない、という空気が当たり前にあった時代です。

もちろん、今の感覚では理不尽すぎる話です。

それでも当時は、そういう価値観が女性を強く縛っていた。

隠したところで、結婚するときにはバレる。

打ち明けたところで、噂が広まって嫁ぎ先がなくなる。

15、6歳の少女が、たった一度の被害で、人生の選択肢をごっそり奪われてしまったわけです。

どうせお嫁に行けないのなら、どうにでもなれ!

定の心が壊れる音が、ここで聞こえる気がします。

学校を退学した定は、芸妓になり、22歳で遊女に転じました。

今でいう風俗の世界です。

途中、彫刻家を名乗る男に4年間貢ぎ続けたこともありました。

借金しては男に尽くし、別れては別の男の愛人になり、また裏切られて――その繰り返し。

たくさんの男と寝ているのに、一人としてちゃんと自分を愛してくれた人がいない。

そんな感覚を、20代の女性が10年近く抱え続けたわけです。

いつかは私も普通に愛されたい

そんな素朴な望みが、年を重ねるごとに遠のいていく。

満たされないまま、30歳まで来てしまった定が、最後に出会ったのが石田吉蔵でした。

石田吉蔵との出会い|結婚という「現実に戻す装置」がなかった女

30歳の頃、定は市議会議員の男と知り合います。

この男は、遊女として身を削っていた定を心配して、東京の料亭の仲居の仕事を紹介してくれました。

いい男です。

その料亭の主人が、石田吉蔵でした。

妻子持ち、当時42歳。

二人は出会ってすぐに惹かれ合い、駆け落ち同然で宿から宿へと渡り歩く日々が始まります。

ここで一度立ち止まって考えてほしい。

不倫です。

石田にはちゃんとした奥さんがいて、家庭があります。

定がどれだけ尽くしても、石田が定のもとに戻る「正式な居場所」はどこにもない。

籍を入れて、形として「私はこの人のものだ」と言える日は、永遠に来ない。

ここで、私がいつも会員さんを見ていて思うことがあります。

結婚って、よく「ただの紙切れ」とか「形式に過ぎない」とか言われます。

たしかにそうかもしれません。

でも私は、結婚って、暴走しがちな感情を現実の枠に戻す装置でもあると思っています。

もちろん、結婚したから感情がすべて安定するわけではありません。

夫婦になってから不安になる人もいるし、紙一枚で人間が急に強くなるわけでもない。

それでも、「この人は私のもの」という確信を、紙一枚と生活というルーティンが、毎日少しずつ補強してくれることはあります。

それがあるから、人は安心して、相手を所有しようと躍起にならなくても済む。

阿部定には、その装置がなかった

15、6歳で壊された自尊心。

20代を通して刻まれた「私はちゃんと愛されたことがない」という感覚。

そして30歳でやっと心から愛したい男に出会ったのに、その関係は紙にも生活にも支えられていない「不確か」なものでした。

帰る家のない感情は、行き場をなくして、相手の身体そのものに張り付くしかなくなる。

つまり、関係の安心を生活や約束で得られない分、相手の存在そのものを握りしめたくなる。

ここが怖いところです。

阿部定事件はなぜ起きたのか|事件当日、二人の間で何が起きたのか

石田には、少し変わった嗜好がありました。

首を絞められながら愛し合う、というものです。

私には分からないのですが、

苦しさと快楽が混ざり合うのが、たまらない人にはたまらないのだと。

詳しく知る必要はありませんが、世の中にはそういう癖を持つ人が一定数いるのも事実です。

定は、石田のその望みに応えていました。

着物の帯を石田の首に巻きつけて、強く絞めながら抱き合う。

一度や二度ではなく、何度も繰り返された行為だったらしいです。

ときには石田がぐったりして、息も絶え絶えになる場面もあった。

おい死ぬぞ! 大丈夫か!

と、心配になりますよね。

それでも石田は、もっと強く、もっと、と求めたといいます。

そして昭和11年5月18日、待合「まさき」で。

定は、石田の首に巻いた帯を、緩めなかった。

石田は、息を引き取った。

殺意があったのかどうか。

事故か、計画か。これは今でも議論があるところです。

ただ、確かなのは、石田が息絶えた後の数時間、定はその遺体と過ごしたということ。

そして、ある決意をしたということです。

阿部定はなぜ石田の男性器を持ち去ったのか|「彼のすべてが欲しかった」の本当の意味

定は、台所から包丁を持ってきて、石田の男性器を切り取った。

紙に包んで、自分の胸元にしまった。

そして、宿に石田の遺体を残して、一人、外に出ていった。

ここで、多くの人は言葉を失うと思います。

そりゃあ、宿に男性器のない石田がそのまま死んでいるのです。

センセーショナルすぎて、新聞も大々的に取り上げます。

逮捕は2日後、5月20日。

捕まるまでの2日間、定は買い物したり、映画を見たり、市議会議員の男ともう一度会っていたとも言われます。

この辺の神経が少し怖いですよね。

裁判で、定は犯行を素直に認めました。

そして、こう供述しています。

私は彼を非常に愛していたので、彼のすべてが欲しかった。彼を殺せば他のどんな女性も二度と彼に決して触ることができないと思って、彼を殺した。

なぜ持ち去ったのか、についてはこう答えています。

私は彼の頭か体と一緒にいたかった。いつも彼のそばにいるためにそれを持っていきたかった。

判決は、懲役6年。

意外に軽いと思うかもしれません。

当時の裁判官は、定の人物像について「反社会性溢れる人間性があるが、極めて純愛」と評しています。

裁判官がこういうことを言うのは、珍しいでしょう。

世間の空気も、実は意外と定に同情的な部分があったのです。

さて、ここからが本題です。

あなたはこれを愛と呼べるでしょうか?

私は少し違うと思います。

「他のどんな女性も二度と彼に触ることができないように、殺した」――ここには、相手を一人の人間として尊重する視点が、ほとんど見えません。

あるのは、「自分以外の誰にも渡さない」という、所有の論理だけです。

愛は、相手が自分のもとを離れる自由を認めた上で、それでも一緒にいたいと願うこと。

所有は、相手の自由を奪ってでも、自分のそばに置いておきたいという衝動。

阿部定が手に入れたかったのは、石田という人間そのものではなかったのではないでしょうか。

「絶対に裏切られない証拠」を、物理的に握っておくこと――それが、彼女の中で究極に極まった「愛の形」だったのかもしれません。

男と女の関係を語る上で切っても切れない、性の象徴とも言える部分を切り取ってしまった阿部定。

こんなの理解できない!

という人が大半でしょう。

もちろん、行為そのものに共感する必要はありません。

ただ、「失いたくない」「自分だけを見てほしい」という感情なら、少し分かる人もいるかもしれません。

どうでしょう?

みんなはどう思いますか?

ところで、こういう「相手を所有したい感情」、実は私の仕事の現場でもよく見ます。

婚活の現場で見える、普通の人の中にあるいびつな愛情

男性も女性もそうですが、いびつな愛情を持っている人は結構いるものだなと、最近改めて思ったことがあったので、こんな極端な話を持ち出しました。

誤解してほしくないのですが、これは人間性を否定する話ではありません。

誰でも、不安になることはあります。

大事なのは、その不安を相手にぶつける前に、自分で気づけるかどうかです。

結婚相談所の会員さんは、入会したての頃は分かりません。

ごく普通の人に見える。

仕事も真面目に勤めていて、面談でも常識的に話せて、こちらが心配することなんて何もない。

でも、交際する人ができて、熱中してきて、その人と順調ならいいのですが、

上手くいかなくなった時に、いびつな感情が出てくる。

たとえば、30代後半の女性会員さん。

それまで本当に穏やかで、面談でもにこにこしていた人です。

お見合い相手から交際終了を申し込まれた途端、その日の夜から相手にLINEが10件以上。

「今どこにいるの?」「誰と会っているの?」「私の何が悪かったの?教えて」

返事がないと、また送る。

カウンセラーとして相手の男性側から相談が入って初めて、こちらも「え?あの人が?」となる。

40代の男性会員さんでも似たことがありました。

温厚で礼儀正しい、面談中は終始穏やかに話す方です。

女性側から距離を置かれた瞬間、毎日何通もメッセージ。

「なぜ返信がないのか」「きちんと答える義務があるはずだ」と、文章がだんだん詰問口調になっていく。

最初に会ったときの印象とは、別人でした。

人は順調なときだけでは分からない。関係が崩れそうになった瞬間に、普段は見えない不安が一気に出てくることがあります。

これは別に、その人が悪い人間だとか、おかしいとかいう話ではありません。

本人も苦しんでいるのです。

相手を困らせたいというより、不安を止められない。

ここが本当に難しいところです。

順調なときは、誰もが優しく、穏やかに振る舞えます。

試されるのは、自分の思い通りにならない局面に立ったときです。

そこで、相手の自由を尊重したまま「縁がなかった」と手放せるか。

それとも、相手の心を支配してでも、自分の不安を消し去ろうとするか。

もちろん、阿部定事件そのものは極端で、決して正当化できません。

ただ、その根っこにある不安や独占欲だけを見れば、完全に他人事とは言い切れない。

「愛されている確信」を持てない人間が、関係を失う恐怖に追い詰められたとき、誰の中にも芽生えうる感情の、ただ一番極端な現れ方だと私は思います。

まとめ|阿部定事件から考える、愛と独占欲の境界線

阿部定が握りしめていたのは、愛そのものではなく、「失う恐怖から逃れるための証拠」だったのではないか。

「もう二度と、誰にも奪われない」という、安心の証です。

愛は、相手を一人の自由な人間として見ることから始まる。

相手が自分から離れていく可能性を抱えたまま、それでも今日この人と一緒にいたいと選び続けることです。

その視点が消えて、「失うくらいなら、いっそ自分のものにしてしまいたい」と思った瞬間、愛はゆっくりと所有欲に姿を変える。

そして、私が結婚相談所の現場で一番怖いと思うのは、この感情を、誰にも見せずに一人で抱え込んでしまうケースです。

私、少しおかしいかもしれない

と気づいて言ってくれる人は、まだ大丈夫です。

怖いのは、自分の中で「これは愛だ、絶対に正しい」と理屈をつけて、誰にも相談せずに突っ走るパターン。

阿部定は、ここまで来てしまったのではないでしょうか。

一人で抱え込むには重すぎる感情を、誰かに見てもらう必要があります。立ち止まれる相手がいるかどうかで、踏みとどまれるか、突き抜けてしまうかが分かれることもある。結婚相談所に限らず、第三者に感情を見てもらえる場があることは、大きな安全装置になります。私は、相談所にもその役割があると思っています。

最後にひとつだけ、自分に問うてみてください。

「絶対に裏切られたくない」と、誰かに対して思ったことはありませんか?

ある人ほど、阿部定の話は、他人事ではないかもしれません。その感情に気づいたら、相手にぶつける前に、まず誰かに言葉で話してみてください。

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