再婚相手の教育論|どこまで口を出すか考えてみた

再婚相手の教育論|どこまで口を出すか考えてみた

私が本当に怖いと感じるのは、夜11時の寝室で夫が娘を見ている沈黙のほう——ある再婚女性の話

先日また、義父による子どもの事件が報じられました。

痛ましいニュースだし、絶対にあってはいけないことだと思います。

連れ子再婚をされた女性たちに取材をしていると、ああいうニュースに胸が痛まない人はいない、と口を揃えて話してくれます。

でも、私が日々相談を受けるなかで印象的だったのは、ある再婚女性の言葉です。

日常で本当に怖いのは「義父だから危ない」という単純なレッテルではない、と彼女は言いました。

怒鳴られることでも、手を上げられることでもない、と。

怖いのは、夜11時を過ぎてもなかなか寝つけない娘を、夫が静かに見つめている、あの瞬間の沈黙です。

怒鳴り声もない。手も上がらない。

ただ、夫の言葉が娘に届いていない、その無音の数秒だけがある——彼女はそう語りました。

事件のニュースの重さとは別の重さで、毎日少しずつ、自分の胸に積もっていく、と。

その女性は、娘さんが5歳の時に今のご主人と再婚されました。

だからこの記事は、再婚家庭一般の話でもなければ、専門家の総論でもありません。

5歳の連れ子を抱えて再婚し、いまも現在進行形でご主人の叱り方にモヤモヤしたり、自分の甘さを突きつけられたりしている、ひとりの母親が私に話してくれた内容を、ご本人の許可を得て紹介する記事です。

ここから先は、彼女が語ってくれた「日常のひりつき」を、できるかぎりそのまま書きます。

静かに叱る夫を尊敬していた。でも5歳の娘には届いていなかった

彼女いわく、ご主人は声を荒げて叱るようなタイプではないそうです。

静かに淡々と、やってはいけないこと、守らなければいけないことを教え込むタイプ。

「これは正直、私にはない長所です」と彼女は話してくれました。

自分は声を荒げて脅すような叱り方は嫌いだけれど、感情が高まってしまう時は子どもに大きな声で叱ってしまい、反省する夜もある。

だから、夫の冷静な対応は尊敬している部分でもある、と。

再婚するとき、この人なら娘にきつく当たることはないだろうな、と思った。

実際、その通りだった、と彼女は振り返ります。

ただ、一緒に暮らし始めて気づいたことがあるそうです。

子どもって、冷静に叱られているからこそ、その重要さに気付けなかったり、逆におちゃらけてごまかそうとしたりしますよね?

低い声で淡々と言われると、5歳児はうまく受け止めきれない。

むしろ「あ、お父さんなんか言ってる」くらいの距離感で、笑ってごまかしにかかる。

ある日、娘さんが同じ失敗を繰り返したときのことです。

ご主人はいつもの調子で、でもどこか少し嫌味っぽく、こう言ったそうです。

どうして前も怒られたことを繰り返してしまうんだろうねぇ?

声は荒げていない。手も上げていない。

それでも彼女は、台所からその声を聞いていて、胸の奥がきゅっと縮むような感じがしたといいます。

「どうして」の語尾、「ねぇ?」の伸ばし方。

あの一拍に、夫の呆れと責めが、ほんの少しだけ滲んでいる。

娘さんは案の定、ヘラヘラ笑って体を揺らしながらごまかそうとしていた。

ご主人の顔は静かに固くなっていく。

冷静に叱る、というのはたしかに立派な姿勢です。

でも、冷静さの中にちらりと混ざる「呆れ」や「責め」は、子どもには届かない代わりに、不思議と空気にだけ残る。

叱られている娘よりも、横で聞いている自分のほうがダメージを受けている。

そんな夜が、何度かあったといいます。

尊敬しているのに、違和感もある。

この二つが同じ家の中に同居しているのが、再婚してからの正直なところ——それが彼女の述懐でした。

「どうして繰り返すの?」5歳の娘がいつも返す「わからない…」

ここからが、彼女の話のなかで私がいちばん紹介したいところです。

ご主人が娘さんに投げかけるあの問いを、ちょっと分解して並べてみます。

  • 「どうして同じことを繰り返してしまうのか」
  • 「なぜ、前回怒られたからもうやめようと心がけて行動できないのか」
  • 「これをやったら叱られるなと思わないのか」

この質問をされて的確に返答できる5歳児はどれくらいいるでしょうか?

たぶん、ほとんどいません。

叱る側からすれば「考えてほしい」という気持ちのこもった問いなのかもしれない。

でも、受け取る側の5歳児にとっては、答えのない試験問題を急に出されているようなものです。

彼女の娘さんも、叱られる時の返答はいつも「わからない…」だそうです。

毎回同じ。

声を小さくして、目を伏せて、肩を縮めて、「わからない…」。

語尾の三点リーダーが、本当にそのまま空気に消えていく感じ。

彼女はそのたびに、ああこの子は本当にわからないんだよな、と思うそうです。

嘘をついているわけでも、ふざけているわけでもない。

本当に、どうして自分が同じことをしてしまうのか、5歳の頭の中ではまだ整理できていない。

「どうして?」は、答えを促す言葉のはずなのに、5歳の娘の前では、答えのない場所にぐいっと押し込まれる言葉になってしまう。

だから娘さんは、「わからない…」としか返せない。

返せないまま、目を伏せる。

彼女はこのやりとりを見ていられなくなって、ある夜、子どもが寝たあとにご主人に伝えたそうです。

「その質問は5歳児には難しすぎる」と。

これは彼女からご主人に、はっきり言葉にして伝えた指摘でした。

そう言いながら、彼女は自分の中であることに気づいていた、と話してくれました。

この本質的なところは、子どもが自分で気付き、考え、発見していくものだと思います。

まだそこまで先を見据えて行動できない5歳児なのだから、答えられなくて当たり前なんです。

それを「わかるはず」という前提で問い詰めてしまうと、教育のつもりが、いつのまにか尋問に近づいてしまう——これは私自身、シングルファザーを経て再婚した立場として、強くうなずいた部分です。

でもこの「5歳児なんだから」って感覚は、赤ちゃんの頃から子どもと接していなければわからないものなんだろうな、と彼女は気付いたといいます。

彼女はまだ言葉も話せず、一人でトイレに行くこともできない赤ちゃんの頃からの成長を見てきました。

寝返りを打った日、はじめて「ママ」と呼んでくれた日、スプーンが持てるようになった日、ひとりでズボンを上げられるようになった日。

出来ることがたくさん増えた成長を感じてきた。

だから「いま5歳の娘ができることと、できないこと」の地図が、彼女の中には自然に出来上がっている。

でもご主人は、5歳児と突然同居し、いきなり父親としての役割を与えられる。

たくさんの覚悟をして自分と再婚してくれたのは、痛いほどわかっている。

でも子育てについては5年間分のブランクがあるのだから、わからないことがあって当たり前ですよね?

——「ブランク」という言い方は冷たいかもしれないけれど、彼女にはこの言葉がいちばんしっくりくるそうです。

夫が見ているのは、出会ってからの娘。

彼女が見ているのは、お腹にいた頃からの娘。

同じ「5歳」でも、見えている厚みがまったく違う。

もちろん、命や安全に関わることは別です。

人に迷惑をかけるようなことをした場合や、ふざけて大きな怪我につながりそうだと思った場合には、やっぱりビシッと叱る時も必要だと彼女も話していました。

そこは譲らない、と。

命と安全に関わることは、低い声でも高い声でも、はっきりと「ダメ」と伝えるべきだと思っている、と。

ただ、それ以外の場面では。

ご主人が出すあの「なぜ?」の問いを、5歳児サイズに翻訳する役目が、たぶん自分にはある——彼女はそう語りました。

  • 「どうして繰り返したの?」じゃなくて、「次はどうしたらできるかな?」
  • 「なんで叱られるかわからないの?」じゃなくて、「さっきのは、こういうところがダメだったね」

夫が悪いんじゃない。娘が悪いんでもない。

ただ、二人の間にある時間の差を、誰かが言葉にして埋めなければならない。

それを引き受けるのは、両方を見ている自分しかいない——。

そう気づいた夜から、彼女の役割は少し変わったといいます。

連れ子再婚で配偶者の言葉を「翻訳する」役を担う人は、私が見てきた全国500社以上の取材経験のなかでも珍しくありません。

寝かしつけ2時間の娘と、「子どもなんだから早く寝かせるべき」と言う夫

時間差の話は、抽象的な理屈じゃなくて、毎日の具体的な場面に出てきます。

彼女の娘さんは、産まれた時から寝つきの悪い子だったそうです。

寝かしつけのために添い乳をしていた頃から、かかる時間は早くて2時間。

早くて、です。

少し年齢があがり、休日のお昼寝がなくなってからは早く寝てくれる機会も増えたものの、夜11時を超える日もまだ多い。

これは、娘の体質としか言いようがない、と彼女は話します。

シングルマザーだった頃、彼女はその日の家事や次の日の準備をすべて済ませてから、子どもと一緒に自分も眠りにつくような習慣を作っていたそうです。

寝落ちして朝に慌てるのが嫌だったから、自分なりに編み出したやり方だった、と。

しかし、ご主人は子どもが小さい頃から一緒に生活していたわけではないので、「子どもなんだから早く寝かせるべき」という考えが強かったようでした。

これは正論です。

彼女自身もわかっている。

早く寝てくれるなら、それに越したことはない。

ただ、目の前にいるのは「正論通りに眠れない子」なんです。

彼女はそのことを、子どもの体質によってうまくいかないこともあるのだと理解してもらうために、何度も話し合いを重ねたそうです。

一度や二度ではない。

「今日もまた11時か」とご主人がため息をついた夜、寝室から出てきた彼女が小声で「この子そういう子なんだよ」と返した夜。

何回そういう夜を重ねたか、もう数えきれない、と彼女は言います。

「ようやく」理解してくれたんです。何度も話し合って、ようやく。

この「ようやく」までの距離が、5年分のブランクを埋める再婚生活のリアルな手触りなのだと、彼女の言葉を聞いて私も思いました。

食事中のiPadを毎日指摘されて、自分の甘やかしに気づいた

寝かしつけは、ご主人に理解してもらう側の話でした。

でも、すべてが「自分が正しくて夫がわかってくれない」という構図ではない、と彼女は続けます。

自分のほうが甘かった、と認めるしかない場面もあった、と。

彼女はテレビを見せない教育をしているわけではないのですが、彼女自身がテレビが苦手なこともあり、普段からテレビは付けていなかった。

だから子どもには小さい頃からiPadで動画を見せていた。

これは、ある意味で意識した教育方針というより、彼女の個人的な好みから始まった習慣でした。

問題は、食事中もそれを使っていたこと。

娘さんは、食事中でもおもちゃが気になると、途中で席を立っておもちゃのほうへ走っていってしまうような子だったそうです。

じっと座っていられない。スプーンを置いて、走り出す。

追いかけて連れ戻して、また食べさせて、また立ち上がって。

これを毎食やっていたら、一日中、自分の食事にたどりつけない。

なのでお行儀が悪いのは十分承知で、食事中もiPadで動画を見せていた。

そうしないと自分自身がまったく食事をとれないことも多かった——彼女はそう打ち明けてくれました。

「書きながら言い訳がましいなと思います」と彼女は苦笑していました。

でも、これがあの頃の現実だった。

お行儀の悪さと、自分の栄養と、どちらかを取らなきゃいけない夜が続いて、後者を選んでいた。

選び続けて、いつのまにか「食事中はiPadを見るもの」という習慣が、娘の中に根を張っていた。

ご主人は、これを毎日のように指摘するそうです。

最初はちょっとカチンときた。

あなたは知らないでしょう、私が食事をとるためにどれだけ追い回したか——そう言いたくなった。

でも、何度も指摘されるうちに、だんだん認めざるを得なくなってきた、と彼女は話します。

これは、私が子どもの小さい頃に甘やかした反省点だと、私自身も思っているんです

楽をしたかった、と書くのは少し痛い。

でも本当のところ、追いかける手間を省くために、iPadに頼った。

それは「仕方なかった」では片づけられない、自分のやり方の問題でもあった——彼女はそう語ってくれました。

寝かしつけの話と違って、こちらは彼女のほうが修正される側でした。

だから今は、ご主人と一緒にお行儀よく食事をとれるよう教育し直しているそうです。

「直す」じゃなくて「し直す」。

一度ついた習慣は、簡単には抜けない。

それでも、夫の指摘がなければ、ずっと見ないふりをしていたかもしれない、と。

経験の差は、夫にだけあるんじゃない。

母親側にも、一緒にいすぎたことで見えなくなっているものがある——これは、叱り方や教育方針のすり合わせという観点から、私自身も再婚生活のなかで強く実感してきたところです。

「養ってもらってる立場で生意気だと思われるかな」——それでも教育のことだけは黙れない

ここから先は、彼女がいちばん語るのに勇気がいると話していたところです。

連れ子で、子どもと一緒に養ってもらっているのは、もちろんありがたい。

経済的な意味でも、精神的な意味でも。

シングルで娘と二人で生きていた頃と比べて、今の生活が穏やかなのは、夫が背負ってくれている部分が大きいから——それは、毎日感じている、と彼女は言います。

  • 家賃の心配をしなくていい夜
  • 娘が熱を出した時に「仕事休めない」と泣きながら病児保育を探さなくていい朝
  • 冷蔵庫が空っぽにならない週末

夫がいることで増えた当たり前を、本当にありがたいと思っている。

だから、こんなことを指摘して相手に嫌な思いをさせたくない、とためらうことがある。

寝かしつけのことも、5歳児への質問の難しさも、本音を言うと、口に出す前に何度も飲み込んだ、と。

これを言ったら、養ってもらってる立場で生意気だと思われるかな

——この声が、頭の隅でちらつく瞬間が確かにある、と彼女は言いました。

連れ子と二人ぶんの生活を背負ってもらっておいて、その上で教育方針に口を出すのか、と自分で自分に言ってしまう夜がある。

話しながら、ちょっと胃の奥が重くなる、と。

でも。

教育のことだけは、黙れない。

これは彼女の中で、はっきりしていました。家計のことなら譲れる。

家事の分担なら相談できる。

生活のリズムも、すり合わせていけばいい。

でも、娘の育ち方に関わることだけは、ためらいながらでも口にする。

それは、5年間この子を見てきた自分にしかできないことだから——。

彼女が夫にしているのは、「責める」ことじゃないと自分では思っている。

「翻訳する」ことに近い、と。

  • 「それはダメ」じゃなくて、「いまの言い方は5歳には難しいよ」と伝える
  • 「あなたが間違ってる」じゃなくて、「この子の体質だとそれは無理なんだよ」と説明する
  • 夫を否定するんじゃなくて、夫の正しさを、娘に届く言葉に置き換える

これ、毎回うまくできているわけじゃない、と彼女は言います。

タイミングを間違えて、空気を悪くする夜もある。

言いすぎたかな、と布団の中で反省する夜も、言えなかった、と悔やむ夜も、両方ある。

それでも、黙ったままにしないと決めている。

黙って溜め込んだものは、いつかもっと悪いかたちで出てくる気がするから。

ありがたい、は嘘じゃない。

でも、ありがたいから黙る、は自分の中で違う。

この二つを同じ胸の中に置いておくのが、再婚した連れ子持ちの母親の、たぶんずっと続く課題なんだと思います——彼女のこの言葉は、私が取材で会ってきた多くの再婚女性の声と重なるところがありました。

まとめ|「夫を否定したいんじゃない、娘に届く言葉に翻訳したいだけ」——彼女の言葉から

我慢で家族にはなれない、と書こうとして、少し止まりました。

きれいな結論を置いて終わるには、彼女の家はまだ途中すぎる。

今夜もまた、娘さんは11時を過ぎても寝つかないかもしれない。

ご主人はまた「どうして?」と娘に聞いてしまうかもしれない。

彼女は台所で、また胸の奥がきゅっと縮むかもしれない。

それでも、彼女が最後に話してくれたのは、こういうことでした。

私は夫の言葉を否定したいわけじゃない。ただ、娘に届く言葉に翻訳したいだけだった。

ご主人の「どうして繰り返したの?」は、間違っていない。

でも5歳の娘の「わからない…」も、間違っていない。

間違っていない者同士の間に、誰も悪くない距離だけがある。

その距離を、5年間娘を見てきた自分が、言葉にして渡していく。

たぶん、それが自分にできる仕事です——彼女はそう締めくくりました。

iPadを見ながら食事させていた甘さも、寝かしつけ2時間が当たり前だという事実も、ご主人の少し嫌味っぽい「ねぇ?」の語尾も、全部そのままで、明日も続いていく。

完璧に解決したくて話したんじゃない、と彼女は言います。

ためらいながらでも、胃が重くなりながらでも、教育のことだけは口にする。夫の正しさを、5歳の娘に届く言葉に置き換える。自分の甘さを指摘されたら、痛いけれど認めて直していく。

もし今、同じように「言っていいのかな」と飲み込んでいる人がいたら、まずは責める言葉を一つだけ、「次はどうしたらできるかな?」に置き換えてみてほしい——これは、彼女から同じ立場の読者へのメッセージです。

それだけで、空気は少し変わります、と。

それが、5歳の連れ子を抱えて再婚した一人の女性が、いま続けている毎日です。

きれいな結論はまだ出ていない。

それでも、黙らない。

これだけは、決めている——その姿勢を、私もカウンセラーとして強く支持したいと思います。

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