[67歳幸子さんのシニア婚活のブログ]
2019/12/15
幸子の貧乏恐怖症~元夫編~(2) by幸子娘
ギャンブル沼にハマった父ですが、
当時はまだ働いていたけど
父の給料は右から左に流れていくので
幸子は私をおんぶしながら
花屋と八百屋の掛け持ちを始めたそう。
はい!
幸子の第二の奴隷生活と
貧乏生活の幕開けです(笑)
唯一の救いは
闇金業者からは借りていなかった事。
だから利息はなかったらしいんだけど
それでも父の弟からの矢のような催促は
次第に父だけでなく
幸子にも向ったそうなんです。
当時の女性の給料って
たかが知れてますよね。
幸子の給料だけでは生活で精一杯で
借金返済までは手が回らなかったそうです。
そんな折、父の弟から
「三食昼寝付きで同居させてくれたら借金返済を待ってあげる」
との打診が。
最初は渋っていたらしいんだけど
湯水のように散財する父に
幸子の給料ではもうどうにもならず……
結局、父の弟を同居させることに。
本当にダメ男でしょ?
でも、これだけで終わらないのが私の父。
なんと、弟の同居と同時に、
父は働かなくなってしまったのです。
そう、父は幸子のヒモになったのです。
はぁぁぁぁぁぁぁぁ???
意味がわかりませんよね?
でも、父的には
自分なりの真っ当な理由があったらしく。
聞いて驚くなかれ。
その理由は、
「父が仕事に出ている間に、
弟と幸子が男女の仲になることを心配したから」
です。
ますます、はぁぁぁぁぁぁぁぁ??? でしょ!
いやいや、
まず幸子は朝から晩まで働いて、
ほとんど家にいませんしー
借金を返済さえすれば弟は出ていくんだしー
……(大苦笑)
開いた口が塞がらないとはこのことだけど、
なぜかこの理由がまかり通り。
更に更に、いつの間にか
弟の食いぶちまで幸子が面倒みる羽目に。
だから、幸子の労働量は
半端なモンではなかったんです。
結局、結婚しても
何も変わらなかった幸子の状況……。
幸子は結婚しても
自由を得ることができなかったのです。
でも、幸子は本当に我慢強かった。
「こんな可愛い子を与えてくれたのだから、私が大黒柱となって支えなければ……」
と感謝の思いが芽生えた時もあったらしい(驚)
幸子の堪忍袋の緒、どんだけ固いのーーー?
固結び、50巻きにしてる?!
でも、やっぱり日々の苦しみには勝てず。
幸子、30歳の時に離婚を決意しました。
いや~、18歳で結婚して
30歳までよく我慢したよー。
これは、国民栄誉賞に値する忍耐強さじゃない?
でも、ダメ男って
どこまでいってもダメ男で……。
離婚すら、まともにできないんです(泣)
幸子が勇気を出して離婚の意思を告げたところ、
父は猛反発。
そりゃそうですよね……
母におんぶにだっこの状態なんだから
離婚なんて受け入れるはずがない!
父は、仕事しない・家事もしない・男前でもない
と、3拍子そろった?!ヒモ男。
(私の中で、ヒモの最低条件は「男前」なんだけど、父はそれすらクリアしてない)
ここにさらになんと
暴力までもが追加されたのです……。
幸子~~~~!!(大泣)
この話をする度に、幸子は
「暴力に屈したわけではない」
「私自身が、自分の親が離婚してつらかったので
我が子にはそんな思いをさせたくなかった」
と言うのです。
幸子~~~~!!!(大泣2回目)
話し合いをした結果、幸子は妥協案として
1ヶ月の別居を提案したそうです。
しかも30万円の生活費付き。
家賃抜きでの生活費30万って
当時にしたら、かなりリッチよね?
でも、幸子からしたら
とにかくサイテーでも
1ヶ月は穏やかな生活が送れる!
……そう思ったら、
30万円は高くない!って思ったらしい。
で、、、
別居後、再会は期限の1ヶ月後……
と思うじゃない?
そうならないのが、父なんだな~
(ここも自慢するところじゃないケドね)
→つづく